RSS | ATOM | SEARCH
「追分」という地名
 私の住む町内は追分と呼ばれています。
江戸時代は東海道の宮(今の名古屋)や名古屋城下と、中山道を結ぶ街道にある集落だったそうです。
名古屋から北進して約20キロのこのあたりには今でも三差路があり、
右へ進むと可児を通って中山道御嵩宿へ通じる木曽街道、
左へ進むと稲置(今の犬山)へ通じる稲置街道です。
その分かれ道なので「追分」という地名になりました。
今でも石碑が残っています。
江戸時代は中山道経由で上京する大名行列がとおり、戦時中は、小牧空港周辺で作った「ゼロ戦」の部品をリヤカーで各務原飛行場へ運ぶ道だったそうです。
その後新しい道ができ、今では私達の生活道路として、また、通勤時の抜け道の性格が強くなっていますが、古い道のおもかげは今でもそこかしこに垣間見ることができます。
この道が中部日本を縦貫する大動脈、国道41号線の元となる道です。

追分というと、信濃追分(中山道と北国街道)、江差追分(北海道の民謡)などが頭に浮かびますが、
その他にも、草津(滋賀県)、四日市、新宿(東京都)などにも、分かれ道としての追分地名が残っているそうです。
歴史ある地名、歴史ある道はいつまでも残していきたいですね。


author:伸太郎, category:犬山の事, 21:51
comments(0), trackbacks(0), - -
Comment









Trackback
url: http://shintaro-s.jugem.jp/trackback/12